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2020.3.10

TUTIMA展示会SHIGERUのつぶやき視察旅行ドイツ・インフォルゲンタ

ドイツ・インフォルゲンタ、チュチマグラスヒュッテ工場訪問レポート⑦

グラスヒュッテ・時計博物館

チュチマ工場見学後、ランチを挟みグラスヒュッテドイツ時計博物館見学に向かいます。閑静な街並みを進み、中央通りの真ん中にかつて歴史的な時計製造学校を収容していた博物館がありました。

グラスヒュッテ市内地図

奥の道をまたいでいる建物がランゲアンドゾーネ

駅舎を改造したノモス(NOMOS)工場。5年前に訪問したので、今回は素通りでした。

ランゲアンドゾーネ旧館。

博物館の手前には可愛らしいノモスブティックがあった。(アドルフ・ランゲが最初に開業した時計工房の建物)

先ずは、昼食、お腹を満たして鋭気を養う。

掛け時計・壁画も時計産業地としてふさわしく、凝った創りのものでした。

市内中央通りのど真ん中にドイツ時計博物館があった。(かつての時計学校があった建物)

館内に入ると大きなホールクロックが迎えてくれた。 ヘルマン・ゲルツ氏制作による1756個の部品から構成された超複雑時計です。年月日のアニュアルカレンダー、日の出、日の入、月齢表示を備えて、2799年までプログラミングされているそうです。

館長自ら館内説明をしてもらいました。

アドルフ・ランゲは鉱山の鉱石枯渇で疲弊していたグラスヒュッテをザクセン政府援助のもと時計製作を開始した。それが1845年でした。

当初は懐中時計が中心の時計製作でした。

チュチマ創業者の エルンスト・クルツ博士 はいち早く懐中時計から腕時計産業への変化を提唱して、ランゲ等がその意見に従い時計産業の中心は腕時計となっていった。

1940年代のクロノグラフ(フライバック機能が付いている)

第二次世界大戦のため、主だった時計ブランドは西側に疎開していったが、その後グラスヒュッテは東ドイツ領となり、時計産業も国営となり衰退していった。

ベルリンの壁が破られた1989年の翌年1990年いち早く、ランゲ&ゾーネとノモスがグラスヒュッテへ戻ってきました。その後、数々のブランドが戻り、2008年チュチマもこの地へ戻った。

最終部署には最新の製品が陳列されていた。

「チュチマ・ザクセン」

「ノモス」キャリバーGUW 6101と製品「アウトバーン」「タンジェント・アップデイト」

「SUG」のケース類

「ランゲ&ゾーネ・ランゲ1」

館内には時計工房があり修理・再生作業も行っていた。

チュチマ創業者クンツ氏は戦争中グラスヒュッテから西側に疎開する際に、職人共々引き連れていったが、ランゲは一人で逃げていったということで、クンツ氏の評判はすこぶるよかった。

また、戦前、クンツ氏は懐中時計中心を腕時計に変遷させることを先頭に立って行い、ランゲ氏もそれに従いこの地の産業を支えていった。

今回の訪問時に歴史と成り立ちの解説からチュチマがドイツ時計産業の中枢を担っていたことが解り、ますますチュチマブランドの周知と販売促進の原動力になりたいと再確認しました。

チュチマ一覧はこちらからどうぞ!

⑧へつづく!

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